毎年5月30日、京都大原の三千院門跡では御懺法講が奉修されます。
御懺法講は、今から約860年前の保元2年(1157年)、後白河天皇が宮中の仁寿殿に於いて宮中御懺法講として行われたのが始まりとされ、声明(仏教音楽・お経に全て節が付けられている)と雅楽が美しく奏でられます。約2時間にわたり、古儀にのっとり宮中法会を再現され、三千院の法要の中でももっとも大切なものとされています。
私は三千院門跡から梶井宮御流の家元と華務職を拝命しています。
この御懺法講の為の献華式が前日の29日に執り行われ、家元を継承襲名してから、コロナ禍の数年を除き、一度も欠かさずに献華をしております。
当流の古典華の三行体の一対を御本尊の薬師如来様の左右に御供えします。
私の最重要任務です。
横浜の教室で時間をかけて、心を込めながら丁寧に仕上げます。
そのまま運びたい気持ちでいっぱいになりますが、そういう訳にはいきません。
私が考えだした、ものすごく上手なやり方で(笑)大切に運び、現地で再現するのです。
運ぶ間も緊張の連続となります。
いつも無事に運べるのですが、毎回祈る思いです。
三千院できちんと生けあげられ、無事に献華式が終えると、心底ホッとします。
しかしながら、ここで安心してはなりません。献華式が済んでも、翌日が本番なのですから。
毎回、「明日、頑張ってね!」と花達に心の中で話しかけた後、ホテルへ帰るのです。
5月30日を迎える為に、三千院のお坊様はじめ、職員の方達の忙しいこと、皆さん、止まることなく準備に動いています。私も28日からその中に混じって、花を設えます。
献華の一対の他に、勅使玄関に富士山を生けました。
皆様が興味をもってご覧下さり嬉しく思いました。
それから、待合室となる円融坊に迎え花を生けるのも、私の担当です。
今年は夏はぜ、金糸梅、雪柳でシックに生けました。
御懺法講当日になりますと、大法要に参加するお坊様や御縁のある方々が全国からお集まりになります。毎年お顔を合わせる方々との再会も嬉しく、お話に花を咲かせながら、法要の始まりの合図である壱番鐘を待ちます。
いざ法要が始まると、爽やかな風がスーッと宸殿を吹き抜ける感じがいたします。青もみじが揺れる音も静かに耳に入ってきて、清涼な雰囲気に心が洗われます。
そして、その後、一瞬シンとしたかと思うと、お声明に合わせて雅楽の調べが厳かに奏でられていくのです。
毎年、毎年、ご法要の間、「ああ、ここが梶井宮御流の源なのだ」としみじみ感じ入ります。繰り返されることにもかかわらず、毎回、新鮮な思いに満たされます。
そして遠くに見える一対の古典華を眺めながら、日頃の感謝と、これからの夢の実現に思いを馳せながら2時間を過ごすのです。この世の幸福とはこういう時をさすのかもしれません。
紅葉で有名な三千院ですが、清々しい新緑の季節の素晴らしい京都大原、私はこの御懺法講に伺う5月が大好きなのです。
今年も心満たされながら、無事に最重要任務を果たすことができました。
梶井宮御流
第二十一世家元
一松斎 藤原素朝
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